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Column

Kiyomi Ishibashi:Cinema! 石橋今日美

2015/09/18

JOURNEY TO THE SHORE『岸辺の旅』

©2015「岸辺の旅」製作委員会/ COMME DES CINÉMAS

  『岸辺の旅』の主人公、瑞樹(深津絵里)はきっちりした女性だ。ピアノ教師として教え子の女の子の自宅でレッスンを終えた後、生徒とその母親と、供されたケーキを静かに口に運び、娘のピアノの腕が上達しないと愚痴をこぼす母親をさらりとかわす。立ち寄ったスーパーでふと白玉粉を手に取り、一人暮らしの自宅の台所で、丁寧に白玉のデザートを作り上げる。冒頭の数分感で、黒沢清の映画の「端正な」フレーミングと確かな編集のリズムは、瑞樹のヒロイン像とそのつつましやかな生活を浮かび上がらせる。白玉は3年前に失踪した夫・優介(浅野忠信)の好物だった。瑞樹の細やかな暮らしぶりは、夫をめぐる喪失感をそっと包み隠すベールのようにも感じられる。好物に誘われたかのように、優介が突然姿を現す。「俺、死んだよ」と淡々と告げる彼は、瑞樹と再会するために長い旅をしてきたという。自分が訪れた場所を妻と一緒に再びめぐりたいと願う夫とともに、瑞樹は旅に出る。

 湯本香樹実による同名小説の映画化にあたり、黒沢清は原作にある言葉「死んだ人のいない家はいない」に支えられて撮影したという。死者は生けるものが存在する場所とはまったく異次元の世界に属するのではない。そんな日常生活では得難い実感や信じ難い現象を、現代映画の旗手たちはさらりと描いてみせる。『岸辺の旅』を見て、真っ先に想起されたのは、作品の背景にある文化的・政治的背景、映画作家の個性や作風は異なるが、アピチャートポン・ウィーラセータクンの『ブンミおじさんの森』(2010)だった。亡くなったはずの妻(の亡霊/幽霊)は、ブンミおじさんの家族の食卓にふっと姿を現す。重い腎臓病をわずらい、余命幾ばくもないブンミおじさんは、再会した妻を熱い抱擁をかわす。優介との限られた時間の予感に突き動かされるように、瑞樹は彼と体を重ねる。もっともらしさへの配慮や大仰な演出もなく、フィルムは生と死の境界をあっさりと飛び越えてしまう。そんな「常識的な」境界に依存しない世界を作り上げることへの確信がなければ、成立しない場面だろう。

©2015「岸辺の旅」製作委員会/ COMME DES CINÉMAS

  優介と瑞樹の旅を通して、生者と死者、その営みは揺らめき合い、存在するものが一瞬にして消えてしまうあっけなさで、失われたものがよみがえる。優介がお世話になった人物のひとり、小さな新聞屋を営む島影さんが趣味で集める花の写真の切り抜きの鮮明な色彩は、形あるものの流転する儚さを強く、華やかに印象づける。二人が転々と場所を移して移動する中で、澄み切ったせせらぎのささやかな流れが、大きな河となり、やがて海につながってゆくように、エモーショナルなうねりが見る者の中で静かに高まってゆく。瑞樹が優介と関係のあった職場の若い女性(蒼井優)と対峙する場面では、ダイアローグの端々が心に突き刺さり、他のシーンとは異なる女同士の間のテンションが、作品をラストに向けて加速させる。「好き」だの「愛してる」だの歌い上げることを排し、文字通り死線を越えたカップルによる清冽なメロドラマ(監督によれば「メロディとドラマ」の意で)は、黒沢清の若々しい成熟を実感させた。


『岸辺の旅』JOURNEY TO THE SHORE


10月1日(木)より、テアトル新宿ほか全国ロードショー

公式サイト:http://kishibenotabi.com/top.html


第68回カンヌ国際映画祭 ある視点部門監督賞受賞


2015年/日仏合作/シネスコ/カラー/5.1ch/128分


【キャスト】


深津絵里


浅野忠信


小松政夫


村岡希美


奥貫薫


赤堀雅秋


千葉哲也


蒼井優


首藤康之


柄本明




【スタッフ】


監督:黒沢清


原作:湯本香樹実『岸辺の旅』


脚本:宇治田隆史、黒沢清


音楽:大友良英、江藤直子


製作:畠中達郎、和崎信哉、百武弘二、水口昌彦、山本浩、佐々木史郎


共同製作:COMME DES CINÉMAS


撮影:芦澤明子


照明:永田英則、飯村浩史


録音:松本昇和


美術:安宅紀史


編集:今井剛


衣裳デザイン:小川久美子


配給:ショウゲート


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