ゴルフという個人プレーの代表格のような競技を戦ってきた白戸由香選手。ゴルフと出会う以前の白戸選手にとって、ソフトボールはどのような魅力を持っていたのだろう。
「団体スポーツで、みんなで一緒に頑張るっていうのが合っていたんだと思う。チーム力っていうか。みんなで掛け声かけて走ったり、キャッチボールやったりっていうのが好きだったのかなって思いますね」
進路選択の決定打となったソフトボールに打ち込んだ高校時代。日々の練習の努力は実り、国体に出場するメンバーにも選ばれる。そして、国体に向けた強化合宿中、スポーツが進路に関わる契機が再び訪れる。
合宿には、のちに北京オリンピックでソフトボール日本代表を悲願の金メダルへと導くことになる斉藤春香前監督も参加しており、日立ソフトウェア女子ソフトボール部(現日立ソフトボール部)の監督とコーチが彼女を見に来ていた。そこで白戸選手の存在が彼らの目に留まり、スカウトを受ける。
実業団からの誘いは白戸選手にとって、高校卒業後、就職して会社員になるか、そうではない「もうひとつの選択肢」だった。
「単純にOLはやれないけど、スポーツの道でお給料をもらって、仕事として成り立つものがあるのであれば、やろうという感じですね」
実業団入りへの決意には、同じ年に青森県から白戸選手を含め3名がチームに選ばれたという「仲間がいたことの心強さ」もあった。また彼女のアスリートとしての資質に注目していた人物からの後押しもあった。
「記憶に残っているのが、新体操の部活の女の先生。おっかない先生だったんですけど、印象は。その先生に相談したわけではないけど、『あなたはこの場にいる選手じゃない』みたいなことを言われたんですよ。『だから行きなさい』と。その一言も大きかったかなと思って」
幼い頃から、スポーツ選手になりたいと夢見ていたわけではない。自分自身を生かすという視点から選択してきたスポーツの道。高校卒業後、日立ソフトウェア女子ソフトボール部に入り、神奈川県の戸塚で寮生活を送るようになった白戸選手。実業団チームで待っていたのは、さまざまな意味でそれまでの経験を超える世界だった。
(続く)
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